ザ・チーフタンズのリーダー、
パディ・モローニの訃報

昨夜、とても悲しいニュースが飛び込んできました。
すでにご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、ケルト音楽の至宝、ザ・チーフタンズのリーダー、パディ・モローニ(享年83歳)が昨日永眠いたしました。
世界中にケルト音楽・アイルランド音楽とその文化・誇りを伝えてくれた偉大な存在で、今も世界中でたくさんの悲しみの声が上がっています。
ここ日本でも、1991年の初来日から実に11回もの来日ツアーを行い、今の日本のケルト音楽の普及の立役者でありました。
受け入れがたいことではありますが、彼の生み出した音楽や影響は、これからも多くの人の中で輝き続け、継承されていくことと思います。
弊社一同、パディに心からの追悼と感謝の気持ちを捧げます。


2021年 10月13日
株式会社プランクトン一同





プランクトン代表
川島恵子からのメッセージ


ザ・チーフタンズのパディ・モローニの訃報に驚愕した。
最後に電話で話したのは昨年。コロナが終わったら、日本にツアーしたい!と熱く語ってくれていた。
いつか、その日がくるかもしれないと恐れていたがこんなに突然に。
1937年生まれだから享年83歳。
伝統音楽を復興させ、世界を開拓し、あらゆるミュージシャンたちを呑み込み、牽引してきた強者。世界遺産、世界の宝だった。
アイルランド音楽はもとより伝統音楽の世界の隆盛はあなたのお陰でした。
1991年に初来日してから、30年の付き合いを通して、何ものにも変えられない大切なことを日々、教えられた。沢山の大切な思い出をありがとう。ツアー中は毎日、笑いの渦だった。
ありがとう、パディ・モローニ。
何をも恐れない前に向かうエネルギーには心から敬服した。小柄な体から戦車のようなエネルギーが吹き出していた。

最高に素晴らしいアーティストでした。
最高にわがままな、愛くるしい哲人でした。
あのパディ節がもう聞けないと思うと、寂しくてたまらない。
もう会えないと思うと、悲しさが込み上げてくる。
向こうでデレク・ベル、マーティン・フェイと一緒に「俺たちやりたいこと全部やったね、楽しかったね!」と語っているかもしれない。
向こうでも大いに笑って幸せでありますように。
合掌。



2021年 10月13日 川島恵子











続追悼

アイルランド、ダブリンの南、ウィックローの教会で本日、パディ・モローニの葬儀が行われ、家族やメンバー、多くの音楽家たちに見送られ、パディは静かに眠った。チーフタンズのもの悲しい調べが教会から漏れ聞こえた。
Michael D Higgins アイルランド大統領も参列したそう。RTE国営放送では、かつてのヴァン・モリスンのセッションの映像が追悼で流されていた。
どうやら急に心臓が止まったらしい。静かな往生だったと思う。昨年の3月アメリカツアーが途中半分を残して中止となり、そのあとはずっと公演再開を熱望していた。その希望が叶わなかったのはつらい。

チーフタンズの音楽は楽しいけれど、どこか憂いに満ちている。なぜに悲しいのか。
アイルランドは800年にも渡り属国として搾取され、言葉も伝統楽器(イーリアンパイプも)も禁止された歴史がある。19世紀には飢饉により生き延びる為、死を覚悟でアメリカに渡った。移民の歴史だ。パディの音楽には、この苦難の歴史の悲しみ、何百万の人間の呻きが魂となって漂っている。チーフタンズが残した50数枚のアルバムの一枚一枚にパディの社会への、そして人々への鎮魂の賛歌が込められている。そして、ステージでは生きることへの喜びを会場全員と分かち合った。祝祭の場だった。
パディはアイルランドの音楽の歴史を変えた。
1937年にアイルランド憲法が設定され、25年を経た1962年、チーフタンズ結成。アイルランドはまだまだ、貧しかった。白いアフリカとさえ形容された最貧民国のひとつだったアイルランドから、栄光ある世界の舞台へと。 パディはそれまでギネス一杯の為のパブ・ミュージッックだったアイリッシュ音楽を、格式あるコンサートホールでの「聴く音楽」に昇華させた。音楽の卓越した技能はもちろんだけれど、人間としての生き方もそれまでのアイリッシュのイメージを脱皮させ、第1級に仕上げた。
なぜにあそこまで頑固おやじだったのかと考えた。
バンドメンバーには1分の遅刻も許さないし、公演会場では禁酒を強いて、契約は徹底遵守、合意のない演奏は一切しなかった。
しかし、多くのルールはアイリッシュへの偏見を覆す革命だったのだと思う。
その昔移民して行き着いたアメリカでは職ももらえず、怠け者で大酒呑みで喧嘩っ早いというレッテルが長年付いて回ったアイリッシュ。実際、音楽的には優れていても、だらしなく消えていったバンドが多々いた中で、チーフタンズは厳しい規律を自らに課し、挑戦し先頭を走った。そのお陰で後陣が続々と育ったのである。
音楽的にも存在としても革命を起こしたのだった。
そう、パディは音楽一筋に生きた革命家だった。
もうすぐ、60周年。見事な人生でしたね。


2021年 10月18日 川島恵子











2022.1.28

故パディ・モローニ追悼記事
昨年83歳で逝去したチーフタンズのパディ・モローニへの追悼文が今月の読売新聞(2022年1月22日夕刊)に掲載されました。
来日時にパディに2度インタビューし、長らくパディの活躍ぶりを見守ってくれていた文化部の西田浩氏が尊敬と愛情を込めて執筆してくれました。
パディの功績を称える追悼がこういう形で新聞に記され、そして「(結成60年の来日の夢が)かなわぬことがたまらなく寂しい。」という彼の思いに感謝、あらためて胸が熱くなります。




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