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ドニゴールが育んできたフィドルの伝統と
フランキー・ケネディ・ウィンター・スクール

アルタンのマレードが生まれ育ったドニゴールは
現在もゲール語が日常に生きる土地であり
またアイルランドで最も豊かなフィドル音楽の伝統を持つ地域だ
名手ジョン・ドハティの一族をはじめ数多くの優れたフィドラーを輩出してきた
そして今 亡きフランキー・ケネディの名を冠した
音楽スクールから未来のアルタンが育っていこうとしている──

かつて、地元以外ではほとんど知られていなかったドニゴールの伝統音楽が、世界中の音楽ファンにとって馴染み深いものとなったのは、アルタンの活動を通じてのことだった。ドニゴール音楽の豊饒さは、その一部をスコットランド伝統音楽とのつながりに負っている。むかしは、ドニゴールからスコットランドへと、生き残るためしかたなく移住してゆく人がおおぜいいた。もちろん、今ではそんな必要もなくなっているし、現在のわたしたちは、ドニゴールとスコットランドを結ぶ音楽的・文化的関係から多くを得ている。実のところ、アルタンが演奏する曲にも、スコットランドに縁の深いものが少なくない。
 別の面でドニゴール音楽を特徴づけているのが、フィドルの伝統だ。アルタンは、かれらの吸収したドニゴール・フィドルをさらに発展させてきたが、遺産と伝統への敬意を常に忘れていない。同時にかれらは、その音楽の精髄たる荒々しさ、情熱、爽快感を、世界に向け解き放った。
 小さくて軽く、容易に持ち運べて手入れも簡単なフィドルは、広く普及した大切な楽器だった。とはいえ、楽器を売るか他の物品と交換してしまったフィドラーたちが、状態のよい「木のフィドル」を入手できずに困るという事態もしばしばおこった。そんなときドニゴールでは、新しいフィドルを、ブリキなどの安価な金属から作ってしまうことが珍しくなかった。「まさか」と思われるかもしれない。だが、これには単純かつ興味深い理由があったのだ。
 アイルランド伝統音楽を聴き込んでいけば、すぐにジョン・ドハティと彼の一族の名に出会うだろう。ドハティ家、ガラハー家、マコンネル家――いずれも、優れたフィドラー、パイパー、シンガー、そしてストーリーテラーを輩出した家系だ。こうした音楽家の多くが、同時に高い技術を有する板金職人でもあったという事実は、ブリキで作られたフィドルがなぜこんなに残っているかを説明している。演奏する必要に迫られたときにフィドルがなかったならば、かれらは、その場でブリキのフィドルを作ってしまったのだ!
 20世紀のアイルランド社会が変貌を遂げてゆくにつれ、こうした偉大な演奏家たちのライフスタイルも失われていったが、フィドル音楽はドニゴール現代文化の強力な一部として生き続けた。長年に渡ってひたむきに演奏し、教え、若い世代を励ましてきた人びとの努力が実を結んだのは、ここ数十年のことだ。そのような人びとのなかには、グィードアのフランシー・オ・ムィニー(マレードの父)や、南西部のジェームズ・バーン、ヴィンセント・キャンベルといった若い演奏者が含まれている。
 1980年代、新たに設立されたCairdeas na bhFidleiri(Friednship of Fiddlers)が、年一回のドニゴール・フィドル・サマー・スクールをグレンコルムキルで始めたことによって、若いフィドラーの育成に大きなはずみがついた。1986年夏に開かれた第一回目のスクールで講師を務めたのは、マレード、ケヴィン・マッキー、それにわたしだった。以来、スクールの規模は大きくなってゆき、今では生徒を10クラス100人と限定するまでになっている。キーラン・トゥーリッシュもこのスクールで教えており、ミニ・コンサートなどを開いてきた。Cairdeas na bhFidleiriは、他のイヴェントも開催しているし、本や録音物の出版もおこなっている。
 伝統音楽関係のイヴェントならアイルランド全土でたくさん開かれているが、発想、開催場所、そして内容において最も美しいのは、フランキー・ケネディ・ウィンター・スクールであろう。1994年に死んだフランキー・ケネディを顕彰し、毎年、マウント・エリガルのふもと、ダンルーウィで開かれている催しだ。
 このスクールを創設したのは、1994年にグレンティスで開かれたCairdeas na bhFidleiriの週末の会合に集まった人びとだった。マレード、彼女の両親(フランシーとキティ)、兄弟姉妹(ジェラードとアンナ)、フランキーの母アグネス、姉妹(ウースラとアン)、そしてアルタンのメンバーたちだ。フランキーの生涯と音楽を記念するには、何が最もふさわしいかと考えたかれらは、伝統音楽に取り組もうとする人びとを応援し導いてゆくイヴェントの開催を決定した。フランキーの名を冠したウィンター・スクールが、こうして誕生する。
 伝統音楽と歌について、質の高いレッスンと実演の機会を提供することが、このスクールの目的だ。講師陣には、ポール・オショーネシー、ポール・マクグラタン、ゲイ・マキーオンといったアイルランドの一流演奏家も名を列ねており、おおぜいの生徒と聴衆が、アイルランドのみならずアメリカ、イングランド、スコットランド、ドイツなど、たくさんの国から集まってくる。
 スクールの核となっているのは各種のレッスンだが、フランキーの楽器だったフルートには特に重きがおかれている。生前のフランキーの愛器が、集まったフルート奏者のあいだを回されるのは毎年のことだ。午後のプログラムにはさまざまな独奏会が含まれ、夜になれば、アルタンも出演するコンサートがスクールの一日を締めくくる。

フランキー・ケネディ(1955-94)

ベルファスト生まれのフルート奏者。マレードと出会い結婚したことでドニゴールの伝統音楽と深く関わり、83年に夫妻の名義で『北の調べ』を発表。その後アルタンを結成し中心メンバーとして活躍するが、94年に癌で亡くなった。ドニゴールで執り行われた葬儀には、マット・モロイ、モイア・ブレナンらクラナドの面々、リアム・オ・メンリー、モレート・ニ・ゴーナルなど、アイルランド音楽界を代表する人びとが100名以上も駆けつけ、歌と音楽で彼の死を悼んだ。

文:ダーモット・マクラフリン(Dermot McLaughlin)
アイルランド政府の文化機関、アイリッシュ・アート・カウンシルに勤務。芸術部門の責任者として働いている。フランキー・ケネディの義理の弟であり、優れたフィドラーである。 (訳:茂木健)


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