総合お問合せ:プランクトン
03-6273-9307(平日11〜19時)




出演者一覧


来日メンバー(予定)
● パディ・モローニ Paddy Moloney(イーリアンパイプ、ホイッスル)
● マット・モロイ Matt Molloy(フルート)
● ケヴィン・コネフ Kevin Conneff(ボーラン、ヴォーカル)
● トリーナ・マーシャル Triona Marshall(ハープ)
● タラ・ブレーン Tara Breen(フィドル)
● ジョン・ピラツキ Jon Pilatzke(ステップダンス、フィドル)
● ネイサン・ピラツキ Nathan Pilatzke(ステップダンス)
● キャラ・バトラー Cara Butler(アイリッシュ・ダンス)
● アリス・マコーマック Alyth McCormack(ヴォーカル)
● ティム・エディ Tim Edey(ギター)



◆パディ・モローニ Paddy Moloney
(イーリアンパイプ、ホイッスル)

1938年、アイルランドのダブリン生まれ。チーフタンズの頭脳にして疲れを知らぬエンジン、敏腕プロデューサーであり、戦略家としての才も並みではない。チーフタンズを世界でもっとも有名なバンドのひとつに押し上げるとともに、アイルランド伝統音楽の今日の隆盛を招来した功績は、どんなに高く評価してもしすぎることはないだろう。家庭は伝統音楽一家で、はじめての楽器はホイッスル。8歳のときにはすでにパイパーとしての腕前は世に知られるところだった。建設資材会社の優秀な幹部社員として働くかたわら、ダブリンの音楽シーンで活動し、50年代半ばにショーン・オ・リアダと出会い、キョールトリ・クーランに参加。62年、クラダ・レコードからの依頼でチーフタンズを結成する。68年には会社を辞め、クラダに入社。以後7年間プロデューサーとして活躍。88年にはトリニティ・カレッジで音楽の名誉博士の称号を受ける。2005年、英国作曲家&ソングライター・アカデミーのゴールド・バッジを授与され、さらにスコットランド伝統音楽の殿堂入りを果たした。



◆ケヴィン・コネフ Kevin Conneff
(ボーラン、ヴォーカル)

1945年、アイルランドのダブリン生まれ。普段はいちばん後ろでバンドのリズム・セクションを支え、ときに前へ進み出ると、巻き舌のテナー・ヴォイスで味わい深い喉を聴かせる、童顔の永遠の青年。チーフタンズへの参加は76年で、シンガーが正式メンバーになったのはこの人だけである。十代のとき伝統音楽と出会い、バウロンと、シャン・ノースと呼ばれる古くから伝わるスタイルの歌を身につける。バウロンではこの楽器を現在の隆盛に導いた功労者のひとりだ。アイルランドに優れた男性シンガーは数多いが、肩の力が見事に抜けたその飄々とした味わいはなかなかに得難い。ダブリンの伝統音楽の牙城となったトラディション・クラブの創設に関わり、チーフタンズのメンバーとはここで交流していた。60年代後半にはクリスティ・ムーアのソロ・アルバム『プロスぺラス』に参加し、アイルランド音楽の新しい時代の幕を開く一翼を担っている。



◆マット・モロイ Matt Molloy
(フルート)

1947年、アイルランドのロスコモン州バガダリーン生まれ。バンド中最年少で、またもっとも新しいメンバー(といってもすでに加入して30年を越える)だが、カリスマという点ではいちばんかもしれない。出身地はフルートの伝統の色濃いところで、父親をはじめ一族にも優れたフルート奏者が多い。8歳からフルートを学び、17歳で全アイルランド・チャンピオンに。70年代半ば、「野獣」といわれたボシー・バンドのメンバーとしてアイルランド音楽に革命を起こす。再編プランクシティにも参加したのち、79年、チーフタンズに加入。長いキャリアの末の円熟は彼の音楽に底知れぬ深みを与えてもいて、近年のマットのスロー・エアの美しさはちょっと形容を絶する。とはいえ、ときには秘めたる「狂気」がほとばしり出ることもあって、そういうとき、普段はどちらかというときっちりと整えられた趣のあるチーフタンズの音楽に、ぎらりとしたエッジを加えている。



(パディ、ケヴィン、マット)プロフィール:大島 豊



◆トリーナ・マーシャル Triona Marshall(ハープ)

アイルランド中部レーイシュ州ポートリーシェの出身。3歳からピアノ、7歳からクラシック・ハープの教育を受ける。RTEコンサート・オーケストラの第一ハープ奏者を5年間務め、2003年からチーフタンズに参加。チーフタンズではアイリッシュ・ハープのみを弾くが、故デレク・ベルと同じく、クラシックからの転向組ということになる。2007年にハープのソロ・アルバム『アイリッシュ・ハープ』をリリース。また、チーフタンズのツアー・メンバーであるジョン&ネイサン・ピラツキ兄弟らとトレッドというバンドを組み、2007年に『ライブ・フロム・マット・モロイズ』を発表している。

「デレクが亡くなったのが2002年。一年ほどしてベルファストでBBCオーケストラと『オ・キャロランのコンチェルト』を演奏するという機会があった。それは、かつて僕がデレクと知り合ったまさしく同じ曲で、同じ場所だった。ハープ奏者がどうしても必要となった。どう理解すればいいのか……その時、この世にデレクが贈り届けてくれたとびきり素敵な「天使」がこのトリーナだったんだ。ブリリアントとしか言いようがないハープだ」 (パディ・モローニ談)



◆アリス・マコーマック Alyth McCormack(ヴォーカル)

スコットランド北西、ヘブリディーズ諸島ルイス島の出身。住民の多数がスコットランド・ゲール語を話す、ケルト文化が色濃く残る土地である。アリスは若い頃から歌の才能を発揮し、その伝統音楽の素養に加え、スコットランド音楽演劇院でクラシックの声楽と演劇を勉強して表現の幅を広げた。98年以降は女優としても活動。これまでに2枚のソロ・アルバムをリリース、そのほか20枚を超えるアルバムに参加している。2011年にはトリーナ・マーシャルとのアルバム『レッド&ゴールド』が日本でリリースされた。

「パーカッション奏者、ノエル・エコルズと結婚していて、ノエルから紹介された。最初は2曲ぐらい参加してもらう予定が、すっかりチーフタンズの軸になった。日常的にゲール語を使う、スコットランドのルイス島出身で、だから彼女はスコッチ・ゲーリックもアイリッシュの伝統曲も英語の歌も歌える抜群のシンガーなんだ」 (パディ・モローニ談)



◆ジョン・ピラツキ Jon Pilatzke(ステップダンス、フィドル)

カナダ、オンタリオのオタワ・ヴァレー出身。カナダのステップダンス・チャンピオンシップで3度の優勝を果たす一方、フィドルの腕も一流で、こちらも数えきれないほどの受賞歴を誇る。2002年から兄のネイサン・ピラツキとともにチーフタンズのツアー・メンバーとして活躍。現在は、アイリッシュ・ダンス、オタワ・ヴァレー・ステップダンス、タップダンスという3つのダンスを独自に融合した驚異のダンス・カンパニー「ザ・ステップクルー」のリーダーを務める。ほかにも、チーフタンズのツアー中にトリーナ・マーシャルら若い世代と結成したバンド「トレッド」、ケルティック・ファンク・フュージョン・バンド「クァグマイア」、9人のヴァイオリニストによるグループ「ボウファイア」などでも活動。名実ともにカナダを代表するステップダンサー兼フィドラーの地位を確立している。


◆ネイサン・ピラツキ Nathan Pilatzke(ステップダンス)

カナダ、オンタリオのオタワ・ヴァレー出身。“クレイジー・レッグ”の異名をとる天才ステップダンサー。5歳のときにステップダンスをはじめ、25年以上パフォーマンスを続けている。2002年から弟のジョン・ピラツキとともにチーフタンズのツアー・メンバーとして活躍。2005年にはTV番組『チーフタンズ in カナダ』にジョンと出演し、カナダでもっとも権威あるTVアワード、ジェミニ賞のベスト・パフォーマンス賞を受賞した。そのほか、ライマン公会堂でエミルー・ハリス、リッキー・スキャッグス、アリソン・クラウスらと共演し、アメリカNBCの人気TV番組『レイト・ショー with コナン・オブライエン』でもその華麗なパフォーマンスを披露している。ジョン・ピラツキやトリーナ・マーシャルらとともに「トレッド」を結成し、デビュー・アルバム『ライヴ・フロム・マット・モロイズ』を携えて世界をツアーした。

◆ピラツキ兄弟とは
「15年ほど前にカナダ、トロントでオーケストラと共演したあと、打ち上げのパーティ会場の奥の方で踊っているダンサーたちに気づいた。いやあ、圧倒された。オタワ・ヴァレー・ダンス・スタイルの驚異のダンサー兄弟。これは是非一緒にやろうと。これがジョンとネイサンとの出会いだった。一年後に実現して、それ以来メンバーだ。ジョンにはダンスだけじゃなく、バンドでフィドルも弾くよう数年がかりで説得した。いまやチーフタンズの核フィドラーだ。ネイサンは楽器はやらないけれど、ダンスを組み立てる重要なブレーンだ」(パディ・モローニ談)



◆キャラ・バトラー Cara Butler(アイリッシュ・ダンス)

5つのカナダ全国大会と6つの世界大会を含む、数々の世界的アイリッシュ・ダンス・コンテストを総なめにしてきたトップ・アイリッシュ・ダンサー。高名なアイリッシュ・ダンシング・マスター、ドニー・ゴールデンに師事し、『リバーダンス』の初代プリンシパル、ジーン・バトラーを姉にもつ。92年にチーフタンズと出会い、今日まで活動をともにしている。96年にはアシュレイ・マックアイザックのツアーに同行し、その実力を遺憾なく発揮した。99年にロンドンのロイヤル・ドゥルーリー・レーン劇場で、ジーン・バトラーとコリン・ダンズによるアイリッシュ・ダンス・ショー『ダンシング・オン・デンジェラス・グラウンド』で初のプリンシパルを務める。キャラは伝統的なアイリッシュ・ダンスを継承しつつも、その枠には収まりきらない天性のパフォーマーであり、彼女がひとたび踊り出れば、その圧倒的な存在感にステージの空気は一変する。

「ジーン・バトラーとマイケル・フラットリーはリバーダンスで主演するずっと前、チーフタンズにダンサーとして7年ぐらい参加していた。映画スターになった後もまた戻ってきたりしていた。キャラはジーンの妹で、もう18年ほど参加している。アイリッシュ・ダンスのチャンピオンだ。しかも、年々、素晴らしさを増す」(パディ・モローニ談)






企画・制作:プランクトン 助成:Culture Ireland 後援:アイルランド大使館